【中古】デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 5/小学館/浅野いにお(コミック)

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【中古】デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 5/小学館/浅野いにお(コミック)

【中古】デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 5/小学館/浅野いにお(コミック)

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』5巻:日常と非日常が織りなす、静かで不穏な終末への序章

小学館から刊行された浅野いにお先生による『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』第5巻。中古市場で手にしたこの作品は、読めば読むほど、その静かなる終末感と、そこに生きる者たちの確かな日常の描写に引き込まれていきます。単なるSF巨編として片付けるにはあまりにも繊細で、人間ドラマとしても深遠なこの第5巻の感想を、じっくりとお伝えします。

日常に侵食する「あのコ」の存在感

第5巻は、前巻から続く、空に浮かぶ巨大な母船「あのコ」による地球支配の状況下で、高校生たちの日常が描かれます。しかし、この「日常」が、我々が知るそれとは大きく異なっているのが、この作品の恐ろしいところです。学校に行き、友達とふざけ合い、恋愛感情に揺れ動く。これらの普遍的な高校生の営みが、突如として空から現れた圧倒的な異物、そしてその威圧感の中で行われているのです。

物語の中心人物である小山門出と、凰蘭。彼女たちの周りには、相変わらず個性豊かな面々が集まります。バイト先のオーナー、クラスメイト、そして「あのコ」との接触を試みる謎の集団。それぞれの思惑や行動が、静かに、しかし確かに物語を動かしていきます。浅野先生の描くキャラクターたちは、どこか現実味があり、一見すると普通なのに、その内面には複雑な感情や葛藤を抱えています。第5巻でも、彼らがこの非日常的な状況をどう受け止め、どう生きていくのかが、丁寧に、そして時にユーモラスに描かれています。

終末へのカウントダウン、しかし「なぜか」日常は続く

「あのコ」の存在によって、地球はすでに「終わった」と言える状況です。しかし、物語は驚くほどに「日常」を描き続けます。これは、浅野先生の筆致がなせる業でしょう。例えば、門出たちが何気なく話す言葉、ふと見せる表情、些細な喧嘩。それらの描写が、読者に対して「もし自分がこの状況だったら、どうするだろうか」と強く問いかけてきます。

SF的なガジェットや設定は確かに存在しますが、それらはあくまで舞台装置であり、物語の根幹にあるのは、人間という存在が極限状況下でどう振る舞うのか、という普遍的なテーマです。第5巻では、この「なぜか」続く日常の奇妙さと、その裏に潜む不安感が、より一層鮮明に描かれているように感じました。破滅が約束されているにも関わらず、人々は生きて、笑って、恋をする。このコントラストが、作品に独特の切なさと、一種の諦念にも似た静けさをもたらしています。

不穏な気配と伏線の連鎖

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は、一見すると掴みどころのない物語のように思えるかもしれませんが、浅野先生は緻密な伏線を張り巡らせています。第5巻でも、これまで明かされてこなかった過去の出来事や、登場人物たちの隠された秘密が、断片的に提示されていきます。

特に、門出と「あのコ」との関係性、そして彼女が抱える秘密が、徐々に明らかになっていく様は、物語にさらなる深みを与えています。また、地球防衛軍や、政府の動きも描かれることで、物語は単なる高校生たちの青春群像劇から、より大きなスケールのSFへと発展していきます。しかし、その展開は決して急ぎすぎず、あくまで登場人物たちの感情の機微を丁寧に追う形で進んでいくため、読者は常に彼らと共に、この奇妙な世界を体験しているような感覚になります。

静かに、しかし確実に迫る「何か」

第5巻を読み終えても、物語の終着点はまだ見えてきません。しかし、それは決して退屈だからではなく、むしろ読者を更なる深淵へと誘う、魅力的な「未完」なのです。浅野先生の描く絵は、相変わらず独特の空気感を持っており、キャラクターたちの表情や仕草一つ一つが、言葉以上の感情を雄弁に語りかけてきます。

この第5巻は、まだ「あのコ」との本格的な対決や、地球の運命が大きく動き出す前の、静かで、しかし不穏な序章と言えるでしょう。読者は、門出や凰蘭たちと共に、この奇妙で切ない世界で、いつか来る「終わり」を静かに待ちながら、そしてもしかしたら、その「終わり」さえも超えていくのかもしれない、そんな予感に包まれます。 『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は、 SFでありながら、極めて人間的な感情を描き出す、唯一無二の作品です。第5巻も、その魅力に満ち溢れていました。

上の文章は個人的な感想です。下記サイトで正確な情報をお確かめください

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